20110402

難解だった無停電電源装置


注文していた無停電電源装置が届きました。
こう余震が多く、またいつ停電するかもわからない状態では備えなしにMacを使うのは心配なのであんまり起動しないようにしていましたが、着いたからには始めなくちゃ!

まずはパソコン周りのコンセントをすべて抜く。どれが何のコンセントやら配線した自分でもわからないぐらいめちゃくちゃでした。その後、G4の隣りに寄り添うようにこの装置を置いてコンセントへ。そしてなるべく合理的に配線し直す。。。

付属のソフトで装置を設定することができます。
手強そうだとは思ってたけどやっぱり手強かった。
専門用語がわからない。一応、設定はしたけどほんとにこれでいいのか不安。

停電になって起動中のパソコンが強制終了しないようにすることはもちろんですが、今回の事故のように停電からの復旧時に過電流が流れないようにすることも期待していました。
装置の裏面にAC電源過電流保護スイッチというものがあり、たぶんこれがその役割を果たしてくれるのか?説明書を丁寧に読んだんだけど、これがAC電源過電流保護スイッチですと図で示してあるだけでその働きまではどこを探しても書いてない。

仕方がないのでサポートにメールで問い合わせました。
すぐに返事が来て、どうやら思った通りの働きをしてくれるそうで、その操作方法も丁寧に説明してくれました。これで一応安心か。

いやーしかし、設定ではわからないことが他にも多々です。
今までいろんな周辺機器を設置設定してきましたが、こんなに難解なのは初めてだった〜。

写真はハッカが乗ってるふとんの上の順番待ちをしているようなモス。



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片付いてるか片付いてないかの概念のレベルがそもそも違います。

20110401

残念な役回り


チューネンCの部屋は「地震でぐちゃぐちゃになった」と本人が言ってますが、私から見れば地震前とほとんど変わらない状態だと思います。

長期出張から一旦戻って久しぶりに自室で仕事をしていたCが「テレビ映んないだけどちょっと見て」と言うのです。
う〜ん なんかなあ〜 ふつうこれ逆じゃないの?
ツマがオットに頼るんでないの?

見るとテレビとその上に乗せたBSチューナーの位置が変わっていました。チューナーへのアンテナ線もはずれている。これじゃ映る訳ない。
アンテナ線を元通りに挿して電源を入れてみると、やはりアンテナに異常があるとの表示。
よくよく見たらアンテナ線の中のほそ〜い線がぐにゃっと曲がって底の部分に押し込まれたようにヨレヨレになっていました。つまり挿しても挿した状態になってなかった。

無駄かもしれないと思ったけど、トゥイザーとビーズ用のペンチを使ってなんとかまっすぐに近い状態に直し、そーっと接続してみたら運良くアンテナがつながりました。なんとなくグラグラしているような気もするけどまあいいや。

残念だけどこれが私の役回りなんでしょうねー。

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もおこれ以上目を開けてられない!って時の写真です。

20110331

VoiceOverでびっくり


夜、義妹から電話があって、スカイプ中に変な声が聞こえ突然WiFiも不通になったとのこと。その後、WiFiは入り切りをしてつながったのでこちらとスカイプしてみたら、あらほんとに英語で何かしゃべってるのが聞こえて来るよ?

甥はこのゴタゴタの中、大学進学のために先日チューネンCと一緒に上京し一人暮らしを始めました。その甥とのスカイプ中にこの現象が起こったとのことです。
もう誰にも束縛されなくなった甥がやりたい放題ネットをしてどこかでウィルスを拾ったのではないか?というのが最初の疑惑。

でも調べてみて真相がわかりました。
原因はMacに標準で付いているVoiceOverという視覚障害者の方のための機能がオンになっていたこと。Command+F5キーでオンオフを切り替えられるのですが、何かの拍子にそれをやってしまったってことでしょう。

ちなみに甥のWin機では何の不具合も起きてなかったそうで。疑ってごめんよ。
私が調べている間、オトート宅ではもうパソコン買い替えではないかと話し合っていたそうで、笑い話で済んで良かったけど〜。

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ずっと疎遠だったので実感はあまりないんですけどね。。。

20110330

身近にあった被害


東松島市に住む母のいとこ家族が亡くなっていたことがわかりました。
東松島市が大きな被害を受けたことは知ってたけど、住所が変わってあそこが東松島市になっていたなんて知らなかったです。

子どもの頃、夏休みになると海のすぐ近くにあるその家に家族で遊びに行った。その時お世話になったおじいさんやおばあさんはとうに亡くなっていて、今わかるのはこの津波で亡くなったおじさんだけだけれど、あの家で、と思うと。。。二階で娘と孫と一緒に見つかったそうです。
孫と言ってもおそらく高校生以上にはなっている。。。

海まで歩いて10分ほどでしたかね。海の家のお世話にならなくても、そのまま歩いて帰って庭先の井戸で砂を落とし、家で着替え、おばあさんが出してくれたスイカを食べました。
庭の向こうには広い畑があって、母が言うにはそこに歴代のお墓もあったそうです。
家の裏手に川が流れていたので、津波はその川を襲ったのかも。

大人になってからは縁遠くなってしまったので詳しいことはわからないのですが。
広くてのどかだった海岸線は、立派な松林は、川沿いの小径は今いったいどうなってしまったんでしょう。そのあたりで父が撮ってくれた写真がたくさん残っています。
残念です。

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坂、ありますよ〜。たいしたことない坂も私にとってはたいへんな坂!

20110329

災害で得たもの


「何か足りないものはない?」と、リアルユージンやブログやTwitterを通じてお友だちになった方々から支援物資を送りたいというお申し出をいただきました。
本当にありがたいです。

でも、連日テレビなどで報道されているのはたいへんな被害を受けた沿岸部の地域。内陸部はさほどの被害はなく、特にここいらへんはたまにブロック塀に「危ない」と書かれていることがある程度の軽いものでした。
困るのは牛乳やガソリンなどの品薄になっている商品の入手が難しいことや、やっぱり市ガスの復旧がまだでお湯が出ずお風呂に入れないことぐらい?
何しろ家の最大の被害はMacG4の故障だったとゆうね。

割とふつーに暮らしている私がこんなに心配してもらって。。。
人様の情けが身に沁みます。

電発事故の影響でこれからどこで何が起きるかわからない状態。
援助できるものがあれば、その時はこちらから物資を送ります!

そう言えば電気も水もガスもなかったたいへんな時、実家やオトート宅と協力し合って急場を凌ぎました。喉元過ぎたらあれもすごいことだったなーと思い出されます。
災害によって得たものは大きかったです。

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◯買ったはいいけど、相当な覚悟がないと乗れない体力なのが残念です。
◯漕ぐとふらふら〜っと寄ってはいけない方に寄って行くんです。怖いです。
 自転車屋さんも「ふらふらしてる人が多くてだいじょぶかと思う」と言ってました。
 にわか自転車乗り多数?